奈良後期〜平安初期、新羅や渤海との関係が重要であったと分かりました。当時の日本の対渤海・対新羅政策の基本方針は何であり、貿易はどのように行われたのでしょうか。

国家としては、中華思想の維持ということで一貫しています。新羅はそれを満足してくれなかった、日本のそうした姿勢を拒否したために決裂し、渤海はある程度満足できる対応をしてくれたため厚遇したわけです。しかし貿易については、国家の外交方針とはまた別のところで展開してゆきます。例えば、「鳥毛立女屏風下貼文書」によると、新羅との関係が政治的に決裂しつつあった天平勝宝年間、新羅使に従った商人らの持参した種々の物品が、貴族間で流通していたことが分かっています。同文書はほぼ「買新羅物解」という形式で書かれており、上級貴族の家司が新羅の交易物を扱う所管官司(大蔵省か?)に、必要な物品を目録にして提出したものです。すなわち奈良時代に所管官司が交易の媒介をしていたわけですが、平安期になると、授業でもお話しした張宝高の事例のように、新羅商人と列島の貴族とが直接交渉する仕組みも出来上がってきたようです。