遷都の話ですが、私は周囲の自然を破壊しすぎたために行われたと聞きました。そういう側面もあったのでしょうか?

平城京については、紫香楽から大仏造立を移管してきたために、その鋳造に用いる大量の薪炭材が付近に求められたこと、鉱毒が水路を通じて京内を汚染したことなどが指摘されています。もともと平城京周辺には、度重なる開発や都市生活のために樹木資源が減少しており、降雨時の土砂崩れなどが周辺で発生していたとみられます。それゆえに紫香楽宮・甲可寺で大仏造立を開始したにもかかわらず、結局は平城京へ移管せざるをえなかった。称徳朝の頃には西大寺などの造営も始まっており、周辺の自然環境は悲鳴を上げていたでしょう。同寺の造営については、『続日本紀宝亀元年(770)2月丙辰条に、東塔心礎に用いられた石の祟りがあった、との記事が出て来ます。確証はありませんが、環境破壊による災害が直接祟りと表現されたり、あるいはそれによる不安が祟りを導き出したりもするので、平城京周辺の環境への圧力が高まった結果だといえるかもしれません。