藤原氏による摂関時代、天皇の親政はみられませんでしたが、天皇への教育はきちんと行われていたのでしょうか。 / 摂関期の天皇は幼帝として即位し、政治にも参加できないまま、成長したら退位させられていたわけです。彼らの日常生活は、どのようなものだったのでしょう。何だかとても退屈な生活であったように感じますが…。

授業でも少しお話ししましたが、摂関時代の天皇たちは、これまで考えられていたほど政治に無頓着であったわけでも、政治から締め出されていたわけでもありません。また、文徳・清和・陽成・一条などを除き概ね元服後に即位していますので、幼帝ばかりであったわけでもありません。花山天皇にしろ一条天皇にしろ、どこまで実効があったかどうかは別として「新制」を打ち出し、荘園整理令をはじめとする政令を発していました。後朱雀天皇などは、延久の荘園整理令と一国平均役を制度化するにあたり、どこまでの荘園を停止とするか、頼通とかなり綿密な折衝を行ったようです。直筆の日記や和歌などを残している天皇もありますので、彼らの生活がいかなるものであったか知ることができます。