「先例」が大事なはずなのに、一帝二后などどうやって実現しえたのでしょうか。

確かに平安時代の宮廷社会では先例が重視されていましたが、支配層は決して自縄自縛になっていたわけではありません。授業でも説明しましたが、摂関全盛期の花山、一条、後朱雀などは積極的に新制を打ち出していますし、地方の反乱をはじめとする事態に果敢に対応しています。権力の最上層においては、先例の重視を奨励することが政治や社会の安定化を導き、権力主体の転換を招くような事件が起きるのを抑制するからそうしているのであって、自らの権力の突出や拡大を停止しようとしているわけではないのです。