無罪の権力者に謀叛の罪を着せて葬ってしまうのは、遺族の怒りを買い、よけいに自分の立場を危うくするのではありませんか。 / 謀叛の罪を問われたとき、裁判のようなものはあったのでしょうか。

律令では縁坐制が存在し、謀反・大逆・謀叛については、謀反大逆人の父子は没官のうえ官戸とされ、祖孫兄弟はみな遠流に処すものと規定されています。また、恣意的な運用も行われましたので、後顧の憂いとなるような芽は早くに摘み取っておくことが行われたようです。また、取り調べなどにおいて現代の裁判のようなものはなく、多く拷問に近い訊問がなされ、無実の罪についても自白が強要されてゆきました。例えば応天門の変においては、『日本三代実録貞観8年9月22日甲子条に、捕縛した伴清縄らに激しい拷問を行ったことが記されています。奈良時代橘奈良麻呂の変では、拷問によって大伴古麻呂らが命を落としています。