日本史の考え方が一国史になりがちなのは、地理的に島国であったり、鎖国を経験したりしたからでしょうか。

確かにそのことは否定できません。実は鎖国にしても、海外へのチャンネルはしっかり開かれていたので、完全に世界から遮断されていたわけではありませんでした。島国という環境も、海を交通路と考えれば、世界に開かれている環境といえるのです。しかし、例えば現在韓国/北朝鮮や、ヨーロッパ各国が歴史的に抱えてきた国境問題、その緊張感などは、大部分の日本人には身体的感覚として理解しがたいかもしれません。政府や国家の姿勢にも、その点がうかがえます。しかしだからこそ、沖縄、対馬壱岐、北海道などの国境意識に対し、充分な共感を抱けない問題もある。日本的歴史観が常に一国史的なのは、ナショナル・ヒストリーの根幹を担ってきた政府や知識人が、常に京都や東京など国境的緊張から遠い場所にいた、その意識が全体へと拡大されてしまった、という面があるように思います。