近代以前では統一的な国家像は求められていなかったということが、具体的にどういうことなのか分かりませんでした。 / 江戸幕府は、自分の立場を正当化するような歴史叙述を行わなかったのでしょうか。

江戸幕府が、歴史叙述を行わなかったわけではありません。水戸光圀の『大日本史』との関係でいえば、それ以前に林羅山親子によって、儒教・漢学の立場から書かれた『本朝通鑑』が存在します。概ね鎌倉幕府以来、「幕府」の名のもとになされる歴史叙述は、天皇武家との関係をどう武家に正当性があるように叙述するか、という点がポイントになります。すなわち、武家政権天皇家を守護するために存在するという位置づけで、この枠組みが、江戸時代も含む前近代統一政権の「国家像」ということになります。しかしそれは、藩ごと地方ごと、各階層ごとにかなり自由度の高いもので、厳密・厳格なイメージが庶民までを貫いているわけではありませんでした。人々の生活レベルにおいては、まず目の前のムラ、藩こそが世界であり、藩主の上にいる将軍や天皇などは、あまり意識されていない。将軍や天皇の名/存在によってまとまっている「国家」などは、(目前に他国を背負った異国人などが出現しない限りは)ほとんど現実感のないカテゴライズであったと考えられます。