ナショナル・ヒストリーの形成に携わったのは、文明・考証・民間の3つの史学とのことですが、中心は文明史学でしょうか。 / 古い文献も主観的なものに過ぎないと仰っていましたが、この3つの学派の描く歴史も、それぞれ恣意的なものだったのでしょうか。

これからお話ししてゆきますが、まず、これらの3学派が国家から命令を受けて作業に従事したわけでも、彼らがそれぞれ「○○学派」と明確に意識し、自他を区別していたわけでもないことに注意が必要です。彼らはそれぞれ、近代国家の建設に直面して歴史叙述の必要性を感じ、それを独自の立場から表現しようとした。その交渉のなかで歴史認識の変質が進み、国家の制度的整備もあって、ナショナル・ヒストリーの建設へ繋がってゆくということです。その意味でいうと、構築の核にあったのは考証学の人々です。しかし、彼らは自ら培った清朝考証学的伝統のほかに、文明史学の影響も受けており、また反面教師として民間史学の様子も把握していた。ゆえに3つの立場が相互に関係しあい、そのなかからナショナル・ヒストリーが勃興してくると説明したわけです。なお、事実は誰かに把握され、解釈されて事実と認定されるほか、それが因果関係などの論理に当てはめられない限り、歴史にはなりません。その意味で、3派の叙述はいずれも恣意的なものです。しかしそれぞれが、「真正な事実である」と判断して叙述している点に注意が必要です。