明治政府が『大日本史』を歴史理解のスタンダードにするのは、明治政府が当時の世の中や時代の流れの中で国民のアイデンティティ統合などの国益を考えてのことではないかと思うのですが、『史学会雑誌』に発表した論文で「国益ヲ裨益セント欲スル」と唱えていた重野が反論したのはなぜでしょうか。 / 当時のエリートというのは、概ねナショナリスト=ロイヤリスト的な側面があると思っていた私にとっては、実証主義vs皇国史観という構図より、最初からナショナルな動機を持っていたと考える方が自然なのですが、間違っているのでしょうか?

エリートたちみなナショナリストである、ということは間違っていません。しかし、彼らにも教育を受け背負ってきた伝統、ものの考え方や感じ方がありますので、「何をもって国益とするか」というその内容が相互に異なるわけです。維新政府は、天皇主義に貫かれた『大日本史』をナショナル・ヒストリーにと考えたわけですが、重野は、同書は紀伝体の体裁を完備しておらず、また北朝方で書かれた『梅松論』や『増鏡』を史料としなかったのは南朝偏重の「曲筆」であると批判したのです。重野にとっては、『大日本史』は近代国家に相応しくない歴史叙述だったのでしょう。重野の『大日本史』批判は、必ずしも反体制であったわけではなく、彼なりのナショナリズムの表現であったと位置づけられるでしょう。