「国風文化」の成立は、律令国家体制の内的な変質に帰因するのでしょうか?

王朝国家体制と軌を一にしているとはいわれています。すなわち、ちょうど菅原道真による寛平の改革以降、例えば税制についても、これまで人民に課していた税を土地に課すという大転換をなし、種々の制度が大きく変革されてゆきます。その結果として王権や有力貴族の収入は確保され、支配層上層部で安定的な文化の成熟が進んでゆく。それが「国風文化」と呼ばれるもので、やはり「王朝文化」と改称した方がよいのではないかと思われます。