ある意味ではそうだと思います。東歌など、音韻に当時の東国の方言が反映されていますから、その在地性、史料的価値は極めて高いものです。しかし、古代王権の芸能に対するものの見方を勘案すると、ちょっと事情は違ってきます。すなわち、『万葉集』の編纂されてくる7〜8世においては、例えば大王=天皇が地方の芸能を「みる」ことは、支配の確認であり、それ自体が一種の服属儀礼なのです。東歌や防人歌は、防人として九州へ徴収されてゆく人々の壮行会のようなことが郡家、国衙、津港などで行われ、そこで詠まれたとされています。そうした歌が中央へ集積されてゆくのは、歌が民衆支配の確認にもなっていたことを意味します。