講義の冒頭で、死に対する考え方の相違について話されたとき、古代・中世は遺棄葬だったとのお話がありましたが、では縄文時代の屈葬や伸展葬はどういう位置づけになるのでしょうか。

歴史学者がふつう「古代」というと、考古でいう縄文・弥生は指さないことが多いのです。しかし、縄文から歴史時代までは1万年という開きがありますので、死や喪葬に対するものの考え方も変わってきます。死と再生のサイクルを信仰していた縄文の人々にとって、死/死者は非常に重要であり、埋葬もきちんと行われます。有名なストーンサークルも、縄文中期あたりまでは、墓として作られたものが一般的です。弥生時代に入り、人口が増えるとともに社会階層が分化してゆきますと、墓を持つものは次第に高位のものに限られてゆきます。古墳時代など、一般庶民の墓はあまり確認されておらず、やはり遺棄葬などで散乱してしまったのだろうと思われます。あるいは、日本の土壌は酸性なので、直に土に埋めると溶けて無くなってしまうこともある。いずれにしろ、簡略な埋葬が行われたものと思われます。