草山、柴山の用途は、焼畑とは関係ないのでしょうか。

近世段階では、確かに列島の山地各所で焼畑も行われていましたが、水田稲作が拡大し、柴草山が環境の多くを覆い始めると、その焼畑でさえ水田に変えてゆく事態になります。よって17世紀以降の柴草山の用途は、主に刈敷の草を取るためのもので、焼畑の前段階というわけではありません。