地域によって信仰される樹木の種類は、何によって決められているのでしょうか。 / 人々の間に、樹木や太陽を信仰する必要がどうあったのか気になります。

この講義の初めのほうで触れた狩猟採集民の話、今回は縄文のクリの話、あるいは竹の話でも触れたように、自らの生活や生業と密接に関わる動植物が、信仰の対象となる場合が多いようです。つまり、それが世界に存在しなくては自分たちが生きられない、いうなれば自分たちの生活や生命がその動植物から贈与されているという意識が自覚的になったとき、それらが信仰の対象としてクローズアップされてくるのだと考えられます。だからこそ場合によっては、世界とその動植物との同一化が起きたり(世界樹)、自分たち自身との同一化が起きたりする(トーテム)。しかしその発現の段階、発現の仕方はさまざまで、例えばエジプトの太陽信仰などは、砂漠地帯の昼/夜の環境的差異の激しさに由来すると思われますが(ゆえに死者の世界=夜も明確に焦点化されてくる)、日本列島では太陽を自然一般から切り離して考えるようになるのは古墳時代になってからで(もちろん表現の方法がなかったということも考えられます)、それ以前は死と再生の循環、天空などの概念に含み込んで信仰していたようです。列島はそれだけ、自然環境全般が豊かで包括的であり、ひとつひとつの要素に差異を見出す必要が感じられなかったのかもしれません。