里山景観などと同じく、我々が「伝統的なもの」「自然そのもの」と誤解している景観はほかにありますか? / 日本列島のなかで、古代からの環境がそのまま維持されている地域はあるでしょうか。 / 古代から中世にかけて、寺院や神社が所有していた森林が、周囲の人間によって生活のために伐採され、対立が生じたとのことですが、それはどの程度の規模のものだったのでしょうか。最終的には、寺社がその情況を受け入れたということですか。

誤解されているという意味ならば、それこそ「社叢」、すなわち神社の鎮守の森や寺院境内の森林でしょうね。現在は「社叢学」という言葉もあり、神道学や神道史の一部の人々から、鎮守の森を太古より続く原生林のように主張する意見が出ています。しかし、これも花粉分析などの植生史研究で分かってきているのですが、鎮守の森も時代によって大きな樹種の変遷があり、度々伐採されているようなのです。これは、周辺住民によって伐採された事例もあるでしょうし、各時代の権力者によってなされたこと、あるいは寺社自身が断行したことも考えられます。周辺住民によって伐られるレベルでは、もちろん寺社の荘園や寺領・社領の山々がはげ山になるような事例はありませんが、寺社やそれに奉仕する種々の生業の人々との間で、軋轢を引き起こしています。古代の環境がそのままに…というところは、例え人間の介入を拒むような領域にあってもなかなかありませんが(気候変化の影響を受けますので)、しかし人間があまり介入していない生態系は、屋久島などでみることができます。興味深いのは、人の多く活動した京都郊外の深泥池に、氷河期以来の生態系が一部残存していることです。詳細をみてゆくと、こうした地域は多少は確認することができるでしょう。