私は高校生のとき、日本史の授業で、難波宮と難波長柄豊碕宮とは名前も場所も異なる別物と学びました。後者を難波宮と呼ぶ場合、何をもって見分ければよいのでしょうか。

もしそうだとすると、その先生が誤りを教えたことになりますね。現在、史実として確認されているのは前期難波宮飛鳥時代の難波長柄豊碕宮と、後期難波宮奈良時代難波宮ですが、両者はともに「難波宮」と呼ばれることも多く、同じ場所に建設されています。正確にいうと、前期難波宮の破損や焼亡を受けて、同じ場所に増改築を行って再建し、京域も付属させたのが後期難波宮なのです。文献に出てくる場合は、まず時期によって見分けが可能です。考古学的にも、両者の遺跡が重層していることは確認されています。