山々の植生が書き込まれた正保の国絵図などは、伊能忠敬などのように、誰かが測量したものなのだろうか。信憑性が気になる。

正保の国絵図、そして郷帳の詳細な記述は、近世初期に至る検地の結果です。現在の研究成果では、これまで画期的と思われていた太閤検地の成果について、それほど詳細かつ厳密なものではなかったとする見解が多くなってきています。しかし、近世初期には、小農の自立を前提とした村落が成立してくるので、江戸初期にはかなり深度のある石高調査、土地調査、農村の規模の調査が行われたことは確実です。太閤検地に重要性を見出さないにしても、それが、中世を通じてなされてくる自然環境への権力の介入、平地だけでなく山野河海に及ぶ利益の収奪の到達点であることは確かでしょう。