ブッダが菩提樹で表現されていた当時は、いまのイスラム教のように、ブッダを人として表現すること自体が禁止されていたのでしょうか。それとも慣例的なものだったのでしょうか。

神聖なるものは具体的には表現できないために樹木や法輪によって表していた、これはやはり、明文化された法律というより一種の共同体規制であったと思われます。神像を多く造形していたギリシャ文化の影響で、聖なるものを擬人化した仏像が造られるようになったといわれますが、どこかで大きな転換が起きたのでしょう。肉髻や螺髪、白毫などの特殊な印は、ブッダが普通の人間とは異なることを表していますが、いうなれば樹木や法輪で表現されていた頃の名残、ということになるでしょう。