史実というのは、その時代に生きていた人々の分だけあるものなのでしょうか?

人間に関わるものだけが史実ではありませんので、無限にあるといった方がいいでしょうね。歴史学者の問題関心によって史実が姿を現すと考えれば、無限に広がる過去の多様性のなかから、歴史学者の目によって、史実が構築されてゆくといえるでしょう。ちょっと難しいでしょうか。例えば、授業でお話しした涙の歴史なども、歴史学者が、「古代と現代とでは、人は涙の流し方が違う」と気づかなければ、一般の人々の認識に捉えられることはなかったわけです。