志筑忠雄は、なぜケンペルの『日本誌』を『鎖国論』と訳したのでしょうか。

志筑の『鎖国論』は、ケンペル『日本誌』のオランダ語版"De Beschrijving van Japan"の付論第6章、「今日のように日本国を閉鎖してその国民が国内においても国外においても外国と通商を営むことを許さないことが同国にとって利益ありや否やについての研究」を邦訳したものです。題名があまりにも長いため、鎖国政策を是認するケンペルの意図を汲んで、『鎖国論』と名づけたのです。