「正統の濫立」という言葉がありましたが、これはそれぞれ自分が救われるものを選択してゆき、それを正当化しているからこそすべての仏教が正統、ということでしょうか。

客観的にみると、それぞれの宗派が自分こそは正統なる仏教と唱える状態、林立・割拠の状態にあるということです。より宗教的内面に則して考えると、例えば授業中に例示した天台宗のように、『妙法蓮華経』こそが正統な仏教であるとする立場がある。これは教相判釈で他の経典の深浅を価値付けしていますので、他の経典を奉じる宗派からしてみれば面白くないはずです。そこに種々の「正統」をめぐる論争が起きてきます。浄土宗や浄土真宗は、自らこそが救われる教えとしての選択ですから、他の立場を否定・批判したり、深浅を論じたりはしませんが、その勢力の拡大自体が、他の教団にとって懸念されることもあり、弾圧を受けます。他の教えも含めての正統性の主張、自分だけの正統性の主張、さまざまありますが、よくいわれるような「共生」状態のみが史実ではなく、論争や対立が繰り返され、ときには暴力事件にまで発展しているのです。