「蛮利」「蛮盛」など、大理として「蛮」の字を使うのはなぜなのでしょう。

すでに南北朝頃から、夷狄とされた人びとが四夷表記・概念を自分のアイデンティティーのなかで捉え返す、というものの見方が始まっていました。仏教との関連でいうと、例えば後趙の3代皇帝石虎が、仏教の信奉を可とするかどうか群臣に諮問した際、中華の皇帝は西戎の教えなど信奉すべきではないとする家臣の意見に対し、「我々自身が西戎なのだから、むしろ仏教は信奉するに相応しい」といった答え方をしています。単に中華思想の論理に従属し内面化しているのではなく、主体的に乗り越えを図っているのだと考えられるでしょう。