もし仏教に認められなければ、南詔国は建国されなかった可能性があるのでしょうか。

南詔図伝』は、あくまで南詔国が、その歴史の最末期に、自らの王権のあり方を正当化し衰亡を食い止めるため、「仏教に祝福された国家イメージ」を創り出そうとしたものです。すべてがフィクションではないでしょうが、史実というわけでもありません。チーフダムの段階から国家が生まれてくる過程には、人口増加、灌漑、戦争、交易など幾つかのモデル・パターンが想定されていますが、南詔の場合は明らかに交易で、インドへのルートをめぐって吐蕃、唐の影響力が伸張してきたことが、地域の政治社会に変質を及ぼしたと考えられています。仏教は、その後に必要とされた国家的アイデンティティーを構築するツールとして、採用されたということでしょう。