前近代の史料には、「奇跡を行う」ようなことが多く書かれているが、それは本当のことなのだろうか。また、嘘や拡大解釈なら、記載者の心理状態が気になる。

現在でも、「奇跡を信じる」という心理状態は成立しえます。例えば、あなたがいままで受けてきた教育の枠組みでは、とても理解しえないような事態が出来したとき、まずあなたは、そのことを否定しますか、それとも肯定しますか。現代科学に懐疑的であったり、あるいは宗教的なメンタリティーを強く持っていたりすれば、すんなりと信じることができるかもしれません。あるいは逆に、現代科学に対する信頼が厚かったり、あるいは宗教に否定できであったりすれば、何かの錯覚であると思い込もうとするでしょう。しかし現代科学の最先端は、その専門家でない限りは、知識も十分ではありえず、技術も使いこなせません。当の現象の真実性を検証することはできないので、自分が目撃したという事実を否定できない限りは、信じざるをえなくなるかもしれません。オカルト的な怪奇現象、UFOの目撃談などが跡を絶たないのも、そのためといえるでしょう。また、例えばロケットの発射されるテレビ報道をみて、「これは奇跡だ」と考えるひとは、いまの世の中にそう多くはないでしょう。しかしそれをみている人の大部分は、ロケット工学に対する知識もなければ、発射の原理を論理的に説明することもできません。ただ「現代科学によって生み出されたものである」との事実認識に立って、日常化しているにすぎないのです。このような認識がなければ、ロケットの発射も、最初に述べた「不可解な奇跡」と同じように把握されるでしょう。古代と現代では、人間が世界を認識する枠組みが異なります。彼らの内的論理を探り、それを理解することが必要でしょう。