なぜ農耕が始まる前には、上下関係が生まれなかったのでしょうか。

現在の狩猟民においてもそうなのですが、狩猟という共同作業によって得た肉は、それに関わった人々の間で平等に分配され、富の偏りが生じないようにする種々の規則が存在するのです。狩猟採集社会においては、あらゆる作業が集団で行われ、その分担も専門的分業には至らず、誰もが同じような役割をこなします。しかしそれは多く単独ではなしえないことなので、個人の利益より、常に集団の利益が優先されてゆくのです。このような共同体、社会の状態にあっては、富の偏りや地位の上下の生じることは、集団の安定を破壊する自殺行為なのです。ところで、中国少数民族のヤオ族は、焼畑をしながら移動を繰り返す人々なのですが、長い歴史のなかで、かつて水田稲作を主な生業としていた時期もありました。しかしやがて早期にそれを放棄し、従来のような移動と焼畑の暮らしに戻ってしまう。それはなぜかというと、水田稲作には、耕地の維持や準備、知識や技術などの設備投資が多くかかり、またある程度の労働人口が確保できないと、労働対効果の面で非常に効率が悪いのです。よって、水田を放棄したヤオ族は一定の経済状態を維持できたにもかかわらず、土地を取得し水田をし続けたヤオ族は、経済水準をどんどん下げてしまうことになった。我々の習ってきた稲作史観(農耕は、原始農耕から水田稲作に発展するとの見方)は、必ずしも事実を示しているわけではないのです。