宝誌の身体的特徴は、帽子や行動などのほかは、『南詔図伝』の梵僧へ伝わっていないようです。何か意味があるのでしょうか。

宝誌の初期イメージは、身体的には老いさらばえた老人の印象で造形されています。一方、『南詔図伝』では、きらびやかな法衣、袈裟を身に纏った立派な体躯の梵像として描かれています。これは、国家仏教の守護神としての梵僧が、貧相な恰好では済まなかったからなのでしょうね。ところで上記の宝誌イメージは、日本にそっくりな形式の像が存在します。修験関係の寺社で信仰する、役行者像です。両者が結びつけられて語られたことはありませんが、継承の可能性はあるかもしれないと考えています。