縄文系と弥生系が調和的に移行をしたと聞いて驚いた。沖縄と北海道では縄文系が続いたと昔習ったが、大陸にまあまあ近い沖縄でなぜ縄文系が続いたのでしょうか。

縄文系が続いたというより、縄文時代の後期以降は、琉球列島は貝塚時代前期〜後期といった独自の狩猟採集社会に入ります。交易関係は一部九州のみに限られ、台湾も含め他の地域とはほとんど交流していません。珊瑚礁が周囲を取り巻く特徴的な環境のもと、多様で豊かな海産資源に恵まれ、比較的安定した社会が築かれていたようです。恐らくこの時代の琉球の人々には、農耕社会への変容は必要なかったのでしょう。中国西南の少数民族のなかにも、稲作農耕社会化を拒否し続けた人々がいます。琉球の変化は、中国が南方地域の開発を進め、その政治的拠点を江南へ移す南宋以降、東シナ海の交通・交易が活発化して以降、劇的に変化してゆくのです。