弥生時代の主食は米ですが、奈良・平安時代の庶民の主食は粟などですよね? どのような理由で、主食が変化したのですか?

「主食」という概念に問題があるのかもしれませんね。いったい、どの階層がどの程度食べていたものを「主食」というのか。世間一般、一日二〜三食と規定するなら、米が日本の「主食」になったのは近代以降といえるでしょう。弥生時代は確かに米を食べていますが、それですべての生活エネルギーを賄えたかどうかは疑問です。列島全域を稲作地帯が覆っていたわけでもなく、他の穀物や根菜類、狩猟・漁労・採集で得た食物も重要な意味を持っていたでしょう。稲の収穫量自体は、弥生時代より奈良・平安の方が何倍も大きいはずです。しかしそれらは大部分、国家によって収奪されてしまう。租税として規定されていたためです。この情況は、大まかにいって近世まで持続します。日本列島の一般庶民層においては、米は長く食べるものとしてではなく、税として納めるために生産されていたのです。