古代において神聖視しているものは、一種の「捧げ物」であると捉えてよいのでしょうか。その場合、捧げる対象は自然界だと思うのですが、その象徴が鹿であり鳥なのでしょうか。
祭祀において、「供犠」という概念があります。神的な存在へ祈願するうえで、自分の最も大切なものを捧げるというのが原義です。ですから、最もオリジナルに近い形は人身供犠でした。それも、王であったり、祈願者の血族であったりが生け贄にされる。それが共同体の外部の者、奴隷などへ代替されてゆき、最終的には動物などを対象とする形へ変わってゆくわけです。しかしいずれにしろ、捧げられるものも一種神聖な意味づけが行われなければならない。自分にとって大切なものでなければ、神が祈願を成就してくれないからです。よって、捧げ物自体も神聖なのだ、という解釈は可能です。