墓が時代によって徐々に大きくなってゆくのは、支配力の強さを示していると分かるのですが、形が変遷してゆくのはなぜでしょうか。四隅突出型などは特徴的な形状ですが、何か元になるものはあったのでしょうか。
墳丘墓の形状の相違は、それこそ各地域の歴史・文化の結晶ですので、多様性が出て当たり前なのです。しかし、弥生の方形周溝墓から前方後円墳への変化については、地域を通じて一定の法則性を見出すことができます。それは、周溝にかかる陸橋の変形です。方形周溝墓とは、文字どおり、方形の埋葬区画の周囲を濠が取り巻く形状を意味しますが、埋葬区画への祭祀が恒常化することによって、濠から埋葬区画へかかる陸橋が肥大化してゆくことになります。四隅突出型は、その陸橋が四隅へ延びた形、前方後円墳は、陸橋の正面が特別に拡大した形状なのです。前者は、ある意味で周囲に開けた形で、まだ特別な権力を充分表象するには至っていません。しかし前方後円墳になると、祭祀の方向は方部から円部への一定方向に限定されるようになり、円部への埋葬者が方部の祭祀者と相対する限定的な関係が表象されます。これは、埋葬者の超越的力に保証された祭祀者の権力を形作るのです。