弥生時代から古墳時代にかけて、宗教的な王よりも武人的な王が選ばれるようになるのはなぜなのでしょうか。

本当にそう考えることができるのかも、併せて確認しておく必要があるでしょう。卑弥呼は宗教的な王だとの見解がありますが、祭政一致の王であるだけで宗教に特化した統治を行っていたわけではない。むしろ近年では、男弟の補佐を受けながらも政治的実権を掌握していたと考えられています。女性をシャーマンと位置づける枠組み自体、近代に形成された考え方なのです。一方で、大王、天皇という存在も考えてみましょう。政治的実権も握っていますが、同時に神霊に対する最高位の祭祀者でもあります。むしろ後者の側面がなければ、その支配権は正当性/正統性を持ちえません。よって、宗教的な王から武人的な王へ、という捉え方自体に問題があるのです。