大理においては、密教が固有のシャーマニズムと習合して変容したとのことですが、唐においては密教はどう取り入れられたのでしょうか。シャーマンというと日本では恐山のイタコが思い浮かぶのですが、あの地域でもかつてシャーマニズムが存在したのでしょうか。

中原では、密教は雑密から純密へ、経典を典拠として展開してゆきます。雑密とは、仏陀の説く大乗経典のなかに陀羅尼などの呪文が書かれ、それを読誦することで特定の尊格に働きかけ、呪術的効果を導き出すもの。これがやがて、ヒンズー教に対抗する形で種々の尊格を含み込み、大日如来などを中心に体系化された世界観を持つ純密へと変化してゆく。中原の仏教は、シャーマニズムというより、南北朝時代に西域で流行した瞑想行(禅観経典)がやはり流行して、神仏との感応が重視されるに至る。いわゆる神秘体験で、その延長上に、密教の呪術的仏教が理解されてゆく面はあります。