大理の観音塘で、四天王に普通の人が踏まれている事例ですが、日本の事例にも同じようなものを観たことがあります。大阪の尊延寺の降三世明王だと思うのですが、邪鬼ではなく、菩薩のようなものを踏みつけており、奇異に感じました。これは東アジア仏教美術史において、珍しい事例なのでしょうか。
あれは菩薩というより、天部だろうと思います。左足には、憤怒相のものを踏みつけていますね。いわゆる仏教に帰依していない神々は、餓鬼道に取り込まれたり、語法神として天部の扱いを受けたりする。降三世などは、仏教に従わないものを威圧し回心させる役割を持つので、まさにそうした情景を立体化したものでしょう。ぼく自身は、憤怒相に踏みつけられる邪鬼には、六朝期の洪水・病害をなす「鬼」のイメージが伝承されてゆくものだと考えています。とすればあの邪鬼は、時代的・社会的必然性としては、極めて限定された存在でしかないのかもしれません。