当時の人々は、銅鐸を祭器として用いたり、他にもアニミズムを信仰して豊穣を祈ったりしていたようだが、本当に効果が現れることはあったのだろうか。私は効果など現れるはずはなく、信じない人が増えてもおかしくないと思うが。

宗教や信仰というものは、祈願者の欲望を直接的に成就できないからといって、簡単に放棄されたりはしません。この「科学万能」が信じられている世の中でさえ、初詣に何万という人が寺社へ参詣しています。東日本大震災のあった2011年の正月も、東北・北関東に暮らしていた人々の多くが家内安全を願って寺社へ参詣したはずですが、いま彼らはまったく信仰を捨て去っているのでしょうか。日本列島全体においても、むしろスピリチュアル・ブームが活性化し、被災地域でも、流失した寺社の復興が進められています。神祇信仰のあり方としては、例えば何らかの災害が起きてその鎮静化が祈願され、それが果たされなかった場合、人びとは神を放棄するより、自分たちの祭祀の仕方が悪かったのだと考えます。そうして祭祀のあり方を変革し、それで(偶然でも)災害が鎮静化すれば新たな方式が採用され、祭祀が続行される。それでも災害が鎮静化しなければ、さらに新たな祭祀方式が導入されてゆくわけです。神の放棄がまったく起こらないわけではありませんが、概ねこのようにして祭祀・信仰は持続してゆくのです。