弥生時代中期前葉後半〜後期前半に、青銅器祭祀を重視した地域とそれを終息させた地域に、まとまりがないのが気になる。また、近畿中央と近畿北部、山陰・山陽は隣接しているうえに陸続きであるが、なぜ青銅器使用に差が生じてしまったのだろう。

難しいですが、山地で隔てられた陸地より、むしろ海を挟んでの交通の方が活発であった点も影響しているでしょう。例えば出雲地域の四隅突出型墳丘墓は、北九州や畿内、瀬戸内地方へは充分に波及せず、沿海部を伝って北陸へ伝播してゆきました。