青銅器祭祀から墳丘祭祀への移行について、なぜ前代の祭祀のあり方を、例えば祭器の破壊などによって放棄しなければならなかったのでしょうか。豊作を願いつつ、祖先信仰もできたと思うのですが。
青銅器祭祀と墳丘祭祀とでは、それを支える社会の構造が異なるのが問題なのです。前者はあくまで共同体の祭祀であり、共同体全体が神霊と関わるものです。祭祀はシャーマンによって担われ、必ずしも政治的リーダーとは一致しません。リーダーは共同体をまとめる役割を帯びていますが、政治的な決定は合議の色合いが強く、リーダーの権力は制限されていたと考えられます。それに対して墳丘祭祀は、被葬者を宗教的政治的な力の源とする祭祀形態で、首長の権力を体現するものです。シャーマンも存在したでしょうが、それは神霊と首長を繋ぐ手助けをするもので、あらゆる権力は首長へ収斂しています。場合によっては、宗教的な力さえも首長によって体現されます。よって、青銅器祭祀と墳丘祭祀とは相容れず、共存はしえなかったのです。