邪馬台国は、他の国々と比較して何が優れていたのでしょうか。

そのあたりの経緯は、『魏書』から窺い知ることはできません。ただし、その政治・社会制度、統治制度はかなり進んでいて、大陸の知識を積極的に採り入れていた痕跡があります。それが統一以降に始まったものか、あるいは統一以降に作られたものかは分かりませんが、前者とすれば、他国との競合のなかで大きな力を持つに至った理由のひとつになるでしょう。恐らくは早くから半島や大陸と結んで技術革新をなし、頭角を現していたのだと思います。その具体相は、邪馬台国の場所を北九州と考えるか、畿内と考えるかでずいぶん違ってきます。