梵僧のお供が、犬から猿へ変化したということなのでしょうか。犬の神聖視は、これ以降も続くのですか。 / 飛来峰において猿であったものが、道宣の記録した伝承では犬になっていたのは、林慮山には猿がいなくて、犬がいたから置き換えられたのでしょうか。

やはり、時代と地域の特徴によって、梵僧に付き従う動物のありようは変わってくるのだと思われます。必ずしも、仏教の全流行において、犬から猿へ、あるいは猿から犬へという変化があるわけではありません。林慮山の霊隠寺と江南の霊隠寺は、どちらが成立時期が古いか決めがたいところもありますが、残っている記録でいえば、江南→林慮山の順番でしょうね。後者では「猿がいなかった」というより、犬への畏怖があって、それを取り入れたのだと考えた方がいいでしょう。