猿は、現在では人間より知能が劣っているとみなされています。昔の人々は、猿>人間と考えて神聖視していたのでしょうか。
前近代あるいは民族社会の人々は、動物に対し、現代人のように「愚かなもの」と考えると同時に、人間にはない特別な能力を持つ存在として尊重してもいました。以前にもお話ししたように、動物を食べるという行為のなかには、動物の持つ特別な能力を身体に取り入れる、という意味づけがなされる場合もあったのです。少数民族は、犬や狼、猿、熊、虎など、多彩な始祖をいただくトーテム信仰を持っていますが、やはり動物の力を我が物とする発想がみられます。トーテム動物と人間が結婚する異類婚姻譚、毛皮の着脱によって動物/人間がトランス・ポジションする物語などにも、同じ要素があります。近代科学によって、人間の知能は猿よりうえだとされていますが、例えば野生の山へ放り出されたとき、人間は猿のようには生きてゆけないでしょう。前近代社会、民族社会の人々は、動物のことを、我々よりももっと総体的に捉えていたということです。