大仙陵古墳のような大型の古墳を築造するためには、非常に多くの労働力を必要としたと思いますが、人々は支配階級の指図に黙って従っていたのでしょうか。古墳の造営作業に対する不満とそれによる人々の反抗、あるいはそれが起こらないほど恩恵が与えられた記録があるのでしょうか。

古墳時代の社会に対する記録は、中国にもほとんど残っていません。『日本書紀』や『古事記』の内容も限られたものですので、民衆レベルの動向復原は、なかなか難しい状態です。弥生時代に灌漑稲作が導入され、それを契機に社会の大きな変動が生じてから、地域王権が誕生するまで、全国レベルの戦争も含め、種々の紆余曲折があったことは確かです。しかし、ヤマト王権の成立に至り前方後円墳体制が実現されたことは、それによって社会が一定の安定状態に到達したことも意味しているのです。古墳のところで話し忘れていましたが、前方後円墳などは極めて幾何学的・人工的景観を持った構造物で、当時の人々はそのありようを驚きをもってみていたことでしょう。そうした構造物を作り出せる権力というものに、それぞれの地域が依存していた部分も大きいと思います。