陶邑の木炭の樹種分析について、5〜6世紀は減っているが、6〜7世紀は急に増えている。これはアカマツが増えたからと理解してよいのでしょうか。
授業でも少しお話ししましたが、グラフに現れている木炭の量が、周辺の森林量を直接的に示すわけではありません。例えば、盛んに操業していればそれだけ木炭量は増え、活動が弱まっていれば減る。全体の木炭量が減少傾向にあるのは、森林資源が減少していることを大枠に、陶邑の生産自体が落ち込んでゆくことも表しています。それを前提にしたうえで、7世紀に少し増えるという情況ですが、地方窯が出現して陶邑の生産が衰えてゆくなか、飛鳥や藤原で都市開発が始まり人口が集中、陶邑の生産に何らかのてこ入れがなされたものと思います。寺院の造営が始まり、瓦が生産され始めたことも関係するでしょう。前後の時代と比較し、樹種の変動には大きな混乱がないので、どこか別の場所からまとめて木材を運んできて燃焼させたわけではないでしょうが、周辺の樹木をかなり根こそぎにしていった可能性はありますね。