纒向遺跡の桃核は、土坑からまとまってみつかっていますが(2000個以上に上ります)、詳しく分析したところ食べられた痕跡がなく、恐らくは付近に桃の栽培地があって、一括して廃棄されたものだろうと考えられています。桃核は、纒向以前の弥生時代から吉備地方でも多く見つかっており(さすが桃太郎の里)、桃を駆使した祭祀は、吉備からヤマトへもたらされたものかも知れません。ちなみに王権中央部への桃への信仰は長く続き、『古事記』黄泉国神話にも邪を祓うものとして登場しますし、飛鳥からも園池に桃が多く植えられていたことが分かっています。