山の民は、いつから偏見を持ってみられるようになったのですか。
こういうことは、関係論的に捉えなければなりません。すなわち、平地の道徳、倫理、価値観が確立していったことと関係があるのです。日本列島の場合は、やはり、稲作文化の一般化に対応します。例えば、かつて標高300メートルを超える山々には、縄文時代の人々は普通に踏み込んで狩猟採集を行っていました。彼らにとって、山は「高いところ」でしかなく、気温や峻険さに伴う困難がない限りは、日常生活の普通のフィールドだったのです。しかし弥生時代以降になると、このクラスの山々には、段々と生活痕跡が少なくなってゆき、そうして一部は禁足化されて、神聖な山になってゆきます。この傾向は、平地が開発されて水田化してゆくことと対応し、比例しています。すなわち、平地で水稲文化が成立してくると、開発できない領域が日常のなかからはじき出され、神聖化されてゆく。これが、神社を生み出してゆくひとつのパターンになるのです。