邪馬台国がヤマト王権の先駆であったとすれば、ヒミコやイヨが優れた巫女王であったことは衆知であったはずなのに、なぜ以降の王は男性が圧倒的に多いのでしょうか。

それはやはり、中国的な父系原理の導入とも関わりがあるでしょうね。卑弥呼という女王のあり方も、すでに家父長的枠組みが機能していた中国王朝においては、よく思われてはいませんでした。古墳時代ヤマト王権は、中国王朝から現物・情報の威信財を得て、それを列島内に行き渡らせ、内政の手段に転換することで支配を実現していました。祭祀の方法も含め、そうした王権に中国的知識が次々流れ込んでくるのは自明で、いまだ列島内に女性首長が存在する段階にあって、いちはやくヤマト王権の大王は男性化していったのでしょう。