死者をあの世へ送るために躍起になっている印象を受けますが、なぜ死者が生者に影響を与えるという思想が生まれたのでしょうか。
これは大きな問題ですね。死者が生者に影響を与えうると考えるのは、恐らくは、死者の埋葬行為が始まることと軌一しているでしょう。埋葬が死者がもたらす災いを怖れてのことにしろ、あるいは冥福のようなものを祈願するにしろ、程度の差こそあれ死者の影響を考えてのことでしょう。後者には、純粋に「死者のため」という意識が成り立ちうるかもしれませんが、冥福が果たされなければ自分たちの心身の平穏が得られない、不安でならない、心配でならないとすれば、それはやはり「死者からの影響」を認めていることになります。精神分析学者のフロイトは、このあたりの問題について、生者の強迫的精神状態を指摘しています。すなわち、生者にとって死者は、その終焉が手厚い介護の結果であろうと放置の結果であろうと、あるいは直接手を下した結果であろうと、必ず何らかの強迫性を持ちうる。後者の場合はもちろん、前者の場合も、「もっとこうしてあげられたのではないか」「もっとああしてあげればよかった」などと、自己を呵責してしまう。その結果精神のバランスが崩れそうになると、人間は、自分に代わる新しい攻撃対象を自己のなかに生成する。それが災いなす死者であり、生前は愛してやまなかった対象も死を通して恐ろしい存在へと変形し、これを克服することで平安が得られると思い込んでゆく。一理ある考え方だと思います。