鎌倉幕府も府官制の考え方に基づいているとのことですが、それほど古くからあるシステムに対して、平氏政権や朝廷は何も対策を取っていなかったのでしょうか。 / 征夷大将軍の原型が府官制だとすると、その伝統は近世にまで受け継がれていることになる。明治維新は画期的だ。

当然想定していたからこそ、後白河と頼朝との間で緊張感のあるやりとりが展開されるわけです。頼朝が義経のように中央へ帰属してしまえば、恐らく武家政権は出現しなかったでしょう。恐らくは漢籍に精通した大江広元など(守護・地頭設置も彼の提案)、頼朝を支えるブレーンが優秀だったことも重要です。ところで明治維新は、古代の律令太政官制を復活させる形で始まりますので、画期的というより、やはり古代に戻ったという印象ですね。