ヤマト王権は、中国や朝鮮半島と盛んに交流していましたが、台湾や南西諸島とはどうだったのでしょうか。

この頃は、まだ充分な記録が出ていないですね。ただ飛鳥時代の後半〜奈良時代に入ってゆく頃には、領土の拡大と境界の画定に意が払われ、南西諸島の人々が飛鳥へ朝貢してきている様子を確認できます。「都貨羅人」などの名称も出てきますね。しかしそれらが、現在我々の認識している島々のどれに当たるのかなど、具体的なことは分かっていません。