倭の五王は、済になると突然朝鮮半島における力が大きくなりますが、何か原因があるのでしょうか。

讃―珍と済―興・武が異なる血統だとすれば、前者を河内グループ、後者を大和グループに当てる説もあります。ワカタケルの宮として金石文に出てくる「斯鬼宮」は奈良盆地中央部のシキのことですから、雄略=倭王武が大和グループであったことは確かです。とすれば血縁関係に当たる済―興も大和グループでしょう。同グループには、歴代中国王朝との繋がりという、ヤマト王権発足以来、場合によっては邪馬台国以来の蓄積があります。朝鮮半島に対する権力を伸張させたというより、中華王朝に自己の要求を認めさせる能力が高かったのだ、といえるかもしれません。