ヤマト王権と朝鮮半島との交流を示す鉄鋌は、当時半島と直接関係していなかったかにみえる関東でも出土しているようです。それはなぜなのですか。

関東地域は、結局鎌倉幕府の開設に至るまで、中央政府に対する独自性を確保しています。王権にとっては、味方に付ければありがたい存在ながら、常に緊張感をもって交流することを強いられたでしょう。実際、『日本書紀』には、武蔵国造の反乱記事が収められています。恐らく鉄鋌は、関東を従属下に入れておきたい中央政府によって、ギフトとして贈られたものでしょう。稲荷山古墳から出土した鉄剣なども(銘文にその精錬過程が詳しく記述されているとおり)、王権から贈られた鉄鋌と精錬・象嵌の技術などにより作成されたのではないでしょうか。