盛んに国際交流がなされていますが、当時の日本人はどのような言葉を話していたのでしょうか。

平安時代以前のヤマト言葉には、例えば現在使われている以上の音韻があり、かなり朝鮮半島のそれと共通した言葉遣いの含まれていたことが分かっています。とはいえ、まったく同じ言語を使用していたわけではありません。長く朝鮮半島/日本列島との交渉に携わってきた家柄、職掌の人々の周辺、渡来系氏族の周辺では、もちろん両国語を解する人々がいた。また、「訳語(曰佐、オサと読む」と呼ばれる通訳の職掌もあり、彼らが重要な役割を担っていたのだと思われます。ちなみに、前回も少々話をしましたが、文字を操り、一定の形式に則って漢文を作成する作業は専門業務で、半島や中国からの渡来系の人々が従事していました。「倭王武の上表文」などは、同一の形式を持った文章が朝鮮諸国からも提出されており、5世紀の東アジアでは、一定の国際的教養を共有する人々が各国に存在し、交流の業務に当たっていたものと推定されています。